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烏城彫の歴史
昭和12年、岡山陸軍病院(岡山国立病院)では支那事変の傷病軍人の就職指導、救済活動の一つとして烏城彫を始め、指導者として九峰を迎えた。
「傷ついた方々の社会復帰の助けになれば…」と烏城彫指導が始まったのである。
昭和20年、終戦という社会の激変により一時中断される。しかし、二年後の昭和22年には国立病院協助授産場として「財団法人 協助会」を設立。翌年には解散団体の指定により解散となるが、同時に岡山県傷病者授産場として岡山県営に引き継がれ、以後「烏城授産場」と改名し逐次拡張された。
その後、社会変化の中で、同授産場は閉鎖となり県営は廃止するが「事業としては続けてほしい」という県側の意向もあり、昭和28年授産場の主旨を継続、身体障害者並びに生活困窮者に対し、その独立心を損なうことなく正常な社会人として育成援助を目的とする「財団法人 烏城彫協会」を設立したのである。
以降、初代九峰(きゅうほう)から、昭和44年二代目 木口省吾(きぐちしょうご)に受け継がれ、烏城彫の指導・授産指導をし、身体障害のある多くの人の自立更生社会復帰に務め、烏城彫の製作を続け、また、趣味の烏城彫づくり教室の指導にもあたり岡山県を代表する特産品に成長してきた。
自然の木目が美しく、巧みな彫り塗りを施された什器・道具たち…今日、多くの方々に烏城彫をご愛用頂いています。使い捨てが流行る消費の時代だからこそ、手を掛け時間をかけた烏城彫に触れていただき、愛着の湧くものからの癒し、長く大切に使うものからのゆとりなど、烏城彫により感じ得ていただければと願いを込め作品づくりに励んでいます。
現在は公益法人資格見直しを機会に、2012年4月 「株式会社 烏城彫協会」と組織を改えして、職人(身障者含む)による手作りの漆工芸岡山特産烏城彫を継続しています。
昭和28年11月15日 | 「烏城彫協会」を設立、許可申請を行う。 発起人:木口房四郎(九峰)、伊原木佂朗、立岡孝一、高原碧山 工藤恒四郎、宮岸如空、森 信一 |
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昭和29年1月8日 | 岡山県営烏城授産場を継続し「財団法人烏城彫協会」を設立。 代表木口房四郎(九峰)岡山県に申請する。 |
昭和29年2月8日 | 岡山県知事から、民法34条による社会事業所経営認可を受ける。 |
昭和29年4月 | 岡山市広瀬町に作業所(1階)宿舎(2階)が木造完成。 当協会理事 立岡孝一氏の全額ご負担。 借入後、入居(入所者8名)烏城彫の授産を開始する。 |
昭和33年10月1日 | 岡山県より、岡山市田中地先(笹ヶ瀬川廃川地)を賃借契約。 |
昭和34年1月19日 | 岡山県より、旧県庁舎を払い下げ購入。 木造セメント瓦葺平屋2棟 |
昭和34年6月14日 | 岡山市広瀬町の作業所と宿舎が火事となる。 宿舎(2階)から出火、建物が半焼。 |
昭和34年6月16日 | 岡山市田中地先の事業所、宿舎(旧県庁舎古材を移築し建設完成していた)に移転入居する。 (お年玉はがき配分金受給による) |
昭和43年11月8日 | 独身寮(鉄骨ブロック造、鉄板棒葺)を増築し完成する。 (日本自転車振興会補助金の受給による) |
昭和45年7月 | 家族寮(木造セメント瓦葺1棟)を増築し完成する。 (日本自転車振興会補助金の受給による) |
昭和50年5月 | 漆塗場兼家族寮(1階漆塗場、2階家族寮、鉄筋コンクリート造建物)を新築し完成。 同時に創立満20周年記念を行う。 (日本船舶振興会より補助金受給による) |
昭和60年12月 | 作業場兼家族寮(1階作業場、2階家族寮、鉄筋コンクリート造建物)を新築し完成。 日本船舶振興会より補助金受給による) |
平成23年4月 | 公益法人資格見直しを機会に「株式会社 烏城彫協会」と組織改える。 職人(身障者含む)による手作りの漆工芸岡山特産烏城彫を継続。 |