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烏城彫の歴史
岡山の城下町の基を開いたのは、備前の戦国武将 宇喜多直家(うきたなおいえ)です。
その息子、宇喜多秀家(うきたひでいえ)は天下人 豊臣秀吉に目をかけられ養子となり、慶長2年(1597年)秀吉の指示のもと岡山城を築き上げました。
その後、小早川、池田と城主は変わり、当時の城は昭和20年6月(1945年)戦災で灰燼に帰しましたが、昭和41年に再建され現在に到っています。
姫路城が白鷺城(しらさぎじょう)と言われるのに対して、漆黒の壁で覆われ金箔瓦と金の鯱を持つ岡山城は烏城(うじょう)、金烏城(きんうじょう)と呼ばれました。
写真は岡山城築城400年記念にて池田候の家紋「備前蝶(びぜんちょう)」を彫った烏城彫作品です。